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パエリア

  • Day:2010.11.25 23:01
  • Cat:DIARY
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美味しかった~!来年は、野外でパエリア食べたいです。

先日の布教使の話で、浅田真央さんのジャンプのことが取り上げれていた。
彼女がいま、不振に喘いでいる最大の理由は、背丈が伸びたことと、体型の変化だと。
年齢制限で出場はできなかったトリノ五輪の時期はなんなく飛んでいたジャンプが、段々難しくなってくる。
それは、身長150センチのジャンプと、155センチのジャンプは全然違ってくるということの現れ。
彼女がいま頑張っているのは、150センチのジャンプを捨てて、155センチのジャンプを手に入れる。
155センチのジャンプをまた捨てて、今度は160センチのジャンプをまた一から作り上げようとしているところに、その大変さがある。

昨日までできていたことが、時とともに(成長を経てという場合もあれば、年老いてという場合もある)、今日できなくなることがある。
そのときに、昔はできたのになあ、とできないことを嘆いて、後生を過ごすのか。
あるいは、昨日を捨てて、今日をまた作り上げようをするのか。
どちらの生き方が、輝いているかは言うまでもないけれど、それを実行するのには苦労が伴う。
いま、浅田真央さんは、そこにいるんですよ、というような話でした。

苦労することと、不幸だというのは違う。

DIYデスク

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作業用のデスクを作りました。
有り合わせの木材でつくったので、材質はいまいちですが、かえってそれが作業机らしさを出してます。
天板は、ちゃんとしたものを使ってます。

昨日からストーブのつきがわるく、E-05と表示されるので、修理をお願いしました。
午後に見に来てもらって、6時前には取り付けてくれました。
さすが、地元の強み。早い。
どうも、給油パイプに煤が詰まって、流れが悪くなる模様。
部屋が気密性が高く暖かいので、いつもセーブが微小で焚くので、それもつまりやすい原因らしい。
前回の修理から丸2年、この冬が3年目なので、この周期で気をつけてみていけばいいようです。

本物の思想

仏教の本質的な役割は、亡くなった人をどうこうするところにあるのではなくて、いま現に生きていくことを悩んでいる人に、手を差し伸べるところにある。すべての哲学と宗教は、悩んでいる人の道しるべだと思う。悩んでいる人にこそ必要で、逆に言えば、悩みのない人には不要だと言える。生きていくことを悩んだことのない人っているのかわかりませんが。

「自分は何のために生まれて来たのか」とまで考えなくても、「これからどうやって生きていこうか」と思い悩むことは誰しもあると思う。それは経済的にどう食いつないでいくか、という悩みではもちろんなくて、あくまでも気持ちの面の不安です。このご時世に不安が全くない人は、鈍感かもしれない・・・

ただ、どんなに立派な思想や教えがあったとしても、それが悩んでいる人に届かなければ、その人にとってはなかったと同じになる。悩んでいる時というのは、目の前のことだけに集中してしまい、外が見えなくなりがちなので、できれば悩む前に、それにもしかしたら一つの回答を提示してくれるかもしれない宗教や哲学(思想)があるんだ、ということを知っていることが、大事な気がします。具体的な思想の中身を知らなくても、禅語に「日々是好日」というのがあったよな、でもいい。頭の片隅にでもそれがあれば、本当に悩んだ時に、参照するきっかけになりうるわけだから。

現代は、本物の言葉、本物の思想を求めている人が、多いような気がします。安っぽいもの、その場しのぎのものは、全然通用しない。自分の人生を支えるに値する本物の言葉を、若い人から、年配の人まで求めているように思う。

その言葉でしか語り得ない本質的な意味

NORTHのsmile marcheに、有機生産者グループ「シゼントトモニイキルコト」の代表者・ソガイさんという人がでてました。農業、循環、有機を、ご自身の言葉で丁寧に解きほぐして、説明していた話し振りが、情熱的で聞き入ってしまった。

最後に、(「有機農業」の「有機」という言葉についておっしゃっていましたが、をこれは農業に限らない話だと思います)言葉が一人歩きしていて、その言葉の本質が忘れられている、と話してました。


自分を振り返っても、たしかに言葉の本質に立ち返る機会というのは少なく、手垢のついた言葉や言い回しを安易に使ってしまう今日です・・・
一つ一つの言葉には、その言葉で語ることでしか伝えられない重要な本質的意味があるはずで、その意味を知らないで、なんとなくわかっている気になって、使っているときがある。
独り言でなら害はないけど、法事で勤行のあとにする法話のときなんかは、説明口調で話してしまっていたりするので、気をつけないといけないなあ~と。

ともすると、人は言葉によって思考の幅を限定されるので、言葉はちゃんと勉強しなければと思います。
仏教的なタームは、いにしえの言葉が多く、ときに千年以上の手垢がついているので、それを考えた上で取り扱わないと、よくわからなくなってくる。




お歳暮

  • Day:2010.11.22 21:52
  • Cat:DIARY
はりま屋にお歳暮を注文しました。
ついでに、自分の分も。「コウノトリの福袋」なる商品をみつけたので、クリック。
やっぱり、正月はこたつで、みかんとおかきでしょう~

けいしんは、最近、彼女を「ママ」と呼びます。
でも、「おかあちゃん」と呼ばせたい彼女は、なかなか「はい」と返事をしないので、子どももちょっと困り気味です。
「ママ」とは我が家では教えていないのに、どこかで覚えてくるんですね。
今日、とりあえず、ママでもいいんじゃないの?ということになりました。


そういえば、今日食べた、「堂島ロール」美味しかったです。
彼女いわく、日本一おいしいというだけありました。